New Album "Cells #2" Release

波多野敦子 6 年ぶりとなるソロ・アルバム 『Cells #2』 完成!
耳のなかの細胞がざわめく、ミクロとマクロをつむぐ音楽。
官能的な弦楽オーケストラ作品誕生。

Cells #2 (2017)

1. cavern  2. fissure  3. seep

composed, played, recorded by Atsuko Hatano
recorded at studio Microbe and Hoshi to Niji studio
Mixed by Jim O'Rourke   Mastered by Joe Talia

¥2,000+税 (trl003 / CD)  レーベル: triola / inpartmaint
2018年3月25日リリース

予約受付中

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Video

Cells #2 リリース ライブ

東京編

2018年4月18日(水)
出演: 波多野敦子
19:30 open / 20:30 start
予約 ¥2,000 / 当日 ¥2,300 +1d
会場: 下北沢 lete
予約: 下北沢lete website

大阪編

2018年4月8日(日)
出演: 波多野敦子 / OORUTAICHI
17:00 open / 18:00 start
¥2,800 1d 付
会場: 茨木グランファブリック
予約: 茨木グランファブリック website

リリース コメント

人を芸術でねじ伏せ、蹴散らし、押し倒し、意気消沈させることは容易いけれども、
人を芸術で抱きしめ、愛撫し、立ち上がらせ、
精神を解放させる波多野敦子の仕事は尊く、永久に残っていくだろう。
それは聴こえるか聴こえないか、
見えるか見えないかの際(きわ)の、現実と夢幻の境界で実現し、
新生児の口の中の泡のような新しさで僕たちの世界にやって来る。

ー 澁谷浩次 (yumbo)

波多野敦子の活動の全体をよく知っている訳ではないのだが、クラシックもポピュラーも現代音楽も分け隔てなく取り込み、自分のフィルターを通して出力することをごく自然に実践している人、というこれまで持っていた印象はこの新作でも強まった。
過去のソロアルバムは聴いてないので、ここではこれまでとの比較、のような話はできない(俄然聴きたくなってきた)。
今はあくまでこのディスクから聞こえてくるものについてのみ語ろう。
『Cells ♯2』には、現代音楽の弦楽合奏曲、例えばクセナキスや武満・・・を想起させる瞬間はときどきあるものの、それが現代音楽的な文脈から出てきていない不思議さ、もしくはそれが故の自由さがこの音楽を新鮮なものにしている。
また、ポピュラー音楽では素材録音後の加工は当たり前だが、現代音楽の、というかクラシック系の器楽はそうではない(例外はある)。
弦楽合奏というクラシカルな編成にも関わらず『Cells ♯2』のミックスにもそうした意識が、控え目ではあるが感じられるのも、そうした不思議さにつながっているようだ。
以前波多野さんの別のオケ曲の譜面を見たことがあるのだが、現代音楽の文脈を共有していないところからくる自由さを感じたことを思い出した。
自由/自在さは表現において最大の美徳である。

ー 鈴木治行 (現代作曲家)

秩序を破壊する気骨と音の偶発事を相互的に共鳴させる錬金術の邂逅。
耳慣れないクラスター(多種多用な強弱法の差異!)の裂目からヒョロヒョロした奇怪な虫のようなグリッサンド(これはもはや生物学的なリズムだ)が這い出てくる瞬間の美しさと戦慄。
酒席の波多野さんは「明日のことは明日かんがえましょう~」とか言って美味しそうに日本酒を飲んでおられたが、こういう音楽をどうやってプリペアするのか皆目検討がつかない!
まだまだ先にいけそうです。

ー 渡邊琢磨

脳の奥深く、細胞の奥底にまで浸透するイマジナリー静謐な深く蠢く弦の響き。
調和、衝突、破壊、細胞分裂を繰り返しながら生き物のように成長し増殖する
ミクロでマクロでミニマルな独り弦楽ストリングスのインナースペース圧倒的宇宙空間。
ソウルソニックフォース。
呼吸する事を一瞬忘れてしまうほどに完全に包まれる。

ー COMPUMA

荒廃した地になにが沈殿していたのかをあなたと人間以外の存在がひたすら対話している中で調査はまた延々と続行していって痩せた土地や枯れた土地や轢かれ過ぎた野の荒れが違い映えている道やかつて雲だったものが分解されすぎ落ちている荒漠と言うにはまだまだ調査不足なそれらの空間はその対話のなかでまったく別の呼び名になってゆくのをいち人間としては到底辿れるはずのない途方もない時間を波多野敦子は演奏しているが、これは演奏というよりは周回し続ける凝視なのだろうと思う。
寒々としたその凝視される空間で新たな元素が生まれていくが鈍い雲はより翳りを増していてそれでも彼女は凝視をやめない。この続きを聴きたい。

ー 虹釜太郎 (パリペキン)

「cells」という作品を聴きながら、普段あまり考えない宇宙や細胞のことについて考えてみたい。
何故、普段あまり考えないのかというと、フラクタル構造や人体の不思議さなどは、普段の出来事や 世の中の事件からあまりいい形でなく、そして、否応無く知らされるため、
宇宙や人体の神秘のことを考えてうっとりなんかさせてくれないからである。
しかし、この作品を聴いて、少しはうっとりしていみてもいいのではないか、という気になってきた。
昔「ミクロの決死圏」というリチャードフライシャー監督の映画を見た事を思い出した。アメリカが 亡命させた科学者が負傷し、その開発を促すために医療チームをミクロ化させて内部から治療させるという話だ。
その医療チームの中には悪い奴もいれば、お色気たっぷりの助手もいて、 通常の世界と同じ人間ドラマがミクロの世界でも繰り広げられるわけだけれども、
一番感動するのは、涙に押し出されて眼球から脱出するところだ。
波多野さんの作品を聴いてこのラストシーンが頭の中を繰り返していた。
ちなみに遠藤周作のパロディではおならで脱出している。
しかし、細胞の様な不思議な世界の中で生きている不思議な細胞を抱えた人間が、 何かに押し出されてこの世からおさらばするのであれば、液体かガスか。。
まあおならも面白いけれど、涙の方がロマンがある。
敦子さんの心の「洞窟」の「亀裂」に「浸透」したあらゆる出来事が音の向こう側で聴こえるようです。

ー 石橋英子

幼少時から、例えばフジツボや粘菌、蟻の大群、蓮の実などの小さな穴や斑点などの集合体に強い執着と感動を覚えていた。
いわゆる「トライポフォビア」の真逆の性癖ともいえる強烈なエネルギーを音楽に応用できないものかと、気がつけば考え始めていた。
私は環境に恵まれていたと思う。私の回りには自分の足で立っている力強い、素晴らしいミュージシャン達がいてくれた、
そのおかげで少しずつ自分の核の部分に触れることができるようになって来た。
この「細胞音楽」は少なくとも 5 作品はシリーズとして発表したいと思っている。
2003年に1st「13の水」を作ってから 15年、これまでに出会ってきた全てのミュージシャン、友人たちに心からの感謝を込めて。

ー 波多野敦子